戦国の足跡を求めて

戦国時代の万の事について知り、そして考えてみる・・・・と言いつつもちょっとマイナー感覚の戦国歴史ブログです。

岡崎の27曲がり

第二東名一部開通のネタの一つとして
今回も東海地方を取り上げたい。

岡崎城といえば家康を思い浮かべるが、
現在東海道の「岡崎の27曲がり」を10年もの歳月を費やし完成させたのは、
豊臣政権下で10万石の大名として
三河岡崎城主となった田中吉政である。

三河に来る前までに吉政は
町づくり(町割など)の手腕を高く評価されていた。
年を遡って天正13年(1585年)の頃、
豊臣秀次が近江八幡43万石を与えられると、
吉政はその筆頭家老格となり、
かつて織田信長が築いた安土城下の町を
八幡城下に移して町割を行い、堀なども整備し、
それは今も残り市民の生活や観光に深く関わっている。

そんな吉政は岡崎城に入ると城や城下町を近世城郭に整備することにした。
城下の町割には7つの町を堀で囲む田中掘を築造し、
西側にあった低湿地は埋め立てを行った。
さらに、今までは郊外を通っていた東海道を
岡崎城下町の中心を通るように変更した上で、
「岡崎の27曲がり」といわれるクランク状の道に整備した。
これはもちろん敵の軍勢を足止め・減速する防御的効果を期待してのものである。


この「岡崎の27曲がり」であるが、
現在も良く残り、東海道散策をする観光客にとっての
大きな楽しみの一つとなっている。
冠木門前から出発し、市内の各通りを歩き矢作橋に至るものであるが、
約4kmの距離とそう歩かないので、
ゆったり付近の店な名所に立ち寄りながら、
折れ(曲がり)の数を数えてみるのも楽しい。

途中で「八丁味噌の郷」の看板とともに売店があるのだが、
八丁味噌を買い込んでしまうと袋の重さで
歩きにくくなるので注意したほうが良いと思われる。
やはり岡崎=城だけでなく八丁味噌でも楽しめるのも嬉しいところである。


テーマ:国内、史跡・名勝巡り - ジャンル:旅行

  1. 2012/05/12(土) 08:38:55|
  2. 城跡巡りコラムほか
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第二東名一部開通を契機に・・

第二東名が静岡県内で一部開通したことにより、
観光客の増加が見込まれている。

周辺自治体は良い契機としてPRを行い、
イベントや祭りも増えることだろう。
であるならば、ここで提案をさせていただきたい。

静岡県の戦国時代、その有名人と言うと
どうしても徳川家康の知名度が高いのだが、
「今こそ今川氏の復権を!」と願う次第である。

桶狭間の戦いにおける信長の劇的な勝利によって、
信長はその後に天下取りへの足がかりを築いていくことになるのだが、
それを演出したのは間違いなく今川義元であると言えるだろう。
負けた今川にとっては一時の油断による敗戦という印象が残るかもしれないが、
そもそも合戦、特に野戦の多くはどちらに転ぶか分からないものであり、
はなから勝ちが約束された戦いは、
もはや合戦ではないと言えるだろう。

川中島の戦い(第四次合戦)でさえ、
少し間違えば(出し抜かれたと知って慌てて戻る武田別働隊の動きに支障があったなら)
武田信玄が討死していてもおかしくないこと
(身代わりとなった副将・武田信繁の戦死はある意味その後の武田氏の滅亡の遠因にもなる)
を見ても勝敗はいくら準備を周到にしても、
野戦と言うものは最終的には人が行うことにて、
時と状況に左右されるべきもの・・・なのであり、
状況さえ違えば今川義元が生き残ることもあったかもしれない。

彼の領国経営や軍事・文化における功績は、
その多くは重臣で軍師とされる太原雪斎のものでもあるのだが、
それを差し引いても今川氏の功績をもっと周辺自治体はPRすべきだし、
自治体同士で今川ネットワークを作り、
北条氏における小田原北条五代祭りのように、
様々な自治体や組織が参加できる祭りを
持ち回りで開催してもいいのではないかとも思う。
(1887年(明治20年)に残念ながら幕末時の当主・範叙の死によって
今川氏の直系は断絶してしまったが・・・名門だけに今もなお一族、家臣の一族は多い)

そしてゆくゆくは大河ドラマ化を推進してもらいたい。
まぁ今川氏をドラマの中心に据えても、
織田氏、徳川氏、武田氏、北条氏・・・・他にもたくさんの大名と関わりもあるので、
大小あるにしても周辺の自治体もそれなりの恩恵があるはず。


関係自治体の皆さん、こういう意見は駄目だろうか?



  1. 2012/04/30(月) 00:00:25|
  2. 城跡巡りコラムほか
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GWに東北城巡りはいかが?

皆さまGWに突入しましたが、
ご予定のほどはいかがでしょうか?

当然ながら静岡方面の交通(とくに車)は、
第二東名の一部開通で激混みでしょうから、
出来れば東北方面に行かれてみてはいかがでしょうか?
(東北も混雑するとは思いますけど)

昨年も震災関連で支援のために
東北への城跡巡りを提案させていただいたのですが、
再びサクラ前線の北上と復興支援をかねて、
おすすめしたいと思います。

震災直後はともかく、
今なお被災地以外の観光地は
風評被害などにより観光客は減っていると聞きます。
ただ、仙台市周辺のように復興特需や平泉の世界遺産登録など、
追い風が吹いている所では賑わっているようですが、
仙台市からほんの少し離れただけで状況はかなり違うようです。

お金を寄付することも支援の一部かもしれませんが、
一番は東北の経済、お金を回すことが何よりも支援になり、
我々も、観光地も喜ぶ一番の方法かと思います。

出かけていき、その土地で買い、うまいものを食べ、
土地の人たちと会話する・・・・
それこそがこれから求められる支援のあり方だと思います。

マスコミはスカイツリーや第二東名ばかりでなく、
東北の観光地の情報をもっと発信してPRしてもらいたいし、
それをマスコミが行うことで、
即効性のある復興支援になるのではないでしょうか?

もちろん時間とお金が無いと東北には行けませんが、
海外でお金を落とすよりも、
東北でお金を使うことで復興支援=人助け
を家族ぐるみでGWに行ってみるのは大変素晴らしいことかと思います。

まだ計画を立てていない方は
ぜひ一考の上でご決断いただければと思います。


  1. 2012/04/28(土) 11:59:06|
  2. 城跡巡りコラムほか
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関ヶ原の戦いに参戦した信長の子達

一般的にはあまり知られていないことだが、
秀吉は織田家から実質的な権力を奪い、
それを掌握した後で信長の子たちを家臣として召抱えている。

その中に織田信吉や織田長次らがいて、
彼らは豊臣政権の中では重きを成さなかったものの、
天下分け目の戦いである関が原の合戦において、
西軍の武将として平塚為広の軍勢に加わって、
石田三成の盟友、大谷吉継の部隊の前備えを担当していた。

そしてご存知の通り、
西軍から東軍へ寝返った小早川や脇坂安治などの攻撃や
藤堂隊、京極隊の攻撃を受けて平塚為広隊は壊滅し、
長次は戦死、信吉は逃亡したのであった。

信吉はかろうじて生き残ったものの改易され、
権力や大幅に威信を失った豊臣家の庇護の下で
大坂城下でひっそりと暮らすことになり剃髪して道卜と名乗ったという。
そして豊臣家滅亡後に京都に移り住み、
そこで43年の生涯を終えた。

信吉の子である信之は僧であったが子を成し、
織田千榮と織田吉雄は武士として京極高国の家臣になったという。
  1. 2012/04/19(木) 00:00:24|
  2. 戦国エピソード
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祝・第二東名一部開通!(二)

第二東名高速道路は皆さんご存知だと思うが、
今までの東名高速道路が海側ルートだったのに対して
山側ルートを通ることになる。

ということは静岡県の城跡も海側だけでなく、
むしろ山側に多く存在するので、
そういった城跡巡り趣味の人間にとっては、
目的地までの所要時間等の短縮(=燃料費の節約)もはかれるのである。

一例をあげてみると東京方面から静岡方面に向かう場合、
諏訪原城跡などは島田金谷ICのほうが近いし、
少し先を行くと天竜川沿いの二俣城跡なども浜松浜北ICのほうが
はるかに距離短縮となるのである。

・・・・といっても、開通まもなくは
混雑してしまうのは致し方ない気もするので、
もう少し先に訪問計画を立てたほうが良いかと思われる。

(一応私は計画として第二東名から中央道で
浜名湖周辺城跡→岐阜東部→伊那谷→松本方面→諏訪→甲府という
長距離城跡巡りプラン(車中泊含め5日間)を練っている最中である)


  1. 2012/04/16(月) 20:50:04|
  2. 城跡巡りコラムほか
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ぴぴ@相模国

Author:ぴぴ@相模国
関東は相模国に居を構えます「ぴぴ」と申します。
全国の城址を巡り、グルメや温泉などを堪能しております。
よろしければ拙者の武路具(ブログ)を覗いていってくだされ。

※一部記事は戦国時代以前・以降を含む場合があります

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